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Oct 03,2022

岡本祐亮の⚡リアル ガチ⚡

「岡本の番はいつだ」

「岡本を知りたい」

と連日多くの方々からのお問い合わせにお応えして出番が回って参りました。

そう、私が岡本です。

ご覧になって頂けましたら幸いです。

 

【自己紹介】

大阪府民でも、あまり認知されていない摂津市に生まれ、摂津市で育ち、摂津市で生活をしている入社5年目、

スペースコンサルティング事業部の岡本です。

37歳です。

 

アイフィールドに入社するまでに土日が休みだからという理由で金融機関に新卒で入社、

その後、マネーモチベーションが高まり外資系金融機関の勤務を経て、アイフィールドへ

「JOIN」させてもらいました。

 

【入社に至るまで】

新卒時代に右も左も分からない状態で金融機関に勤務。

金融機関に憧れなどがあったわけでは無く、当時は安易に「土日が休みだから」

 

将来、家族が出来た時に家族との時間を大切にしたい。

自分の両親が金融機関出身だから息子、その道へ、くらいの感覚でした。

これぞアイフィールドですね。

 

同期の中で第一陣として「営業」へ選ばれる。(少し嬉しい)

2-3年目で安定的に表彰式に参加出来るようになる。(だいぶ嬉しい)

上記を経て、29歳で外資系金融機関へ。

「入社後2年間は365日に戦闘服(スーツ)を着用する事が文化」という事実に驚愕。

ただただガムシャラにお客様と会い、順調に収入も増えていきました。

「素晴らしい仕事」と誇りをもっていましたが、ある日、ふと感じたのです。

若かりし頃に考えていた「家族との時間」が圧倒的に減っている事に。

当時、幼い娘も居ていたこともあり、成長をもっと近くで見守りたいと。

家族にも話をした上で、そこから転職活動のスタート。


誇れる資格も持っていない私は当初、年齢的な事もあり、難航すると考えていたのですが、

比較的順調に進める事が出来、内定を7社ほど頂きました。

 

その中の1社で私は「帝国データバンク」という会社に進もうと考えていました。

理由は「年収950万円~を保証」「転居を伴う転勤はない」という好条件であった為です。

家族を養う為、家族で過ごせる為には申し分のない条件でした。

頭の中では、ほぼほぼ進むイメージをもっていました。

そんなある日、外資系金融機関の先輩から「転職活動はどうだ?順調か?」と声を掛けて頂き、

「帝国データバンク」に進むことになると思うと伝えました。

 

そんなときに先輩から「知り合いに、面白い事業をされている人がいるから会ってみないか?」

と言われました。

即、断りました。

自分の中では進む会社を決めた(つもり)という事と、お会いする事で最終的に断る事になれば先輩の顔を

潰すことになると考えた為です。

 

しかし、「話だけ聞くのはタダだし、聞くだけ聞いてみたら?」「会う=入社でも全くない」と

言って下さったので時間に余裕のあった私は、お願いしました。

 

後日、そこで出会ったのが二村社長です。

事業の事、社内の雰囲気、目指すべき目標などを色々と教えてもらいました。

概ね、進むべき道を決めていた私は良い意味で自然体で多くの質問させてもらい、自分の考え、将来の事など、

包み隠さず話しました。

 

そんな機会を何度か設けて頂き、声を掛けて頂きました。

年収は当時の(後に配属される)社員の平均年収を申し出ました。

その額は内定をもらっている「帝国データバンク」の半額以下。

正直、家族が居てたので少し考えました。

 

しかし、その頃には会社の一員として貢献したいという思いも強く、その夜、妻に相談しました。

妻は考える間もなく、「チャレンジしたいんでしょ?」と。

「元々、私も働いているし、専業主婦も出来ないから働き続ける」

「お金は大事だけど、それ以上に一生懸命に頑張れるなら、迎え入れて良かったと感じてもらえるように

貢献したらイイやん」と言うのです。

 

出来た妻です。

なかなかの男気だなと。

その夜、決心し、二村社長に連絡をさせてもらいました。

 

【入社~】

配属先は「スペースコンサルティング事業部」。

商業施設やスーパー・ホームセンター等で催事・イベントを希望の方々にスペースを紹介、提案し、

ご案内する業務です。

 

入社時は30歳を超えており、「結果」を出せなければ残れないという漠然とした不安がありました。

そのような事を二村社長から言われたわけでは無く、何故か勝手に思い込み、追い込んでいました。

 

ある程度、流れが理解出来てから、新しい感情が芽生えます。

そう、「一番になりたい」。上司先輩方に、どのように挑むのか考えました。

 

経験も劣る私が勝負出来る方法。従来の進め方だと間違いなく勝つことは出来ない。

そこで今まで取り組んでこなかった事を行うことが必要と考えました。

考えた中で、辿り着いたのが「ディスカウント」でした。

 

我々が各施設様からスペースをお借りする際の金額を下げる事で実施業者様へも還元出来、

お喜び頂けるのではないか、と考えたのです。

それまでは商業施設様からの誘致依頼などの際に適用される事はありましたが、

「継続的に適用になれば、大きな価値、強さになる」と考えたのです。

 

翌日より全国の施設担当者様へ電話でお話しをさせて頂きましたが全く相手にされませんでした。

施設担当者の多くは目上の方が多く「何を寝ぼけた事を言ってるんだ」「そんなこと適用した事がない」

「決済が下りない」など様々な断られ方をしました。時には、お叱りを受けたこともありました。

 

が、心が折れる事は全くありませんでした。

逆に「こういう方には、こういう言い回しなら関心をもってくださる」

「〇〇(断れ文句)言われたら△△の話をすると興味を示される」と

経験を積むことが出来ました。

 

毎日、施設担当者様へ相談し、繰り返し続けた結果、自分の中で成功法を確立、判断基準を設ける事で

時間の短縮が出来、成績は右肩上がり。

「一番になりたい」と思ってから1年間という時間を要しましたが実現する事が出来ました。

 

【衝突】

3年ほど経過した、ある日の事業部ミーティング。

事業部の責任者も兼務しておられた二村社長から私の「対応日数」が足りないと指摘がありました。

当時の私は「これだけ売り上げで貢献してるのに何故なんだ」という感情が爆発、ミーティング後に

二村社長に真意を問いに行きました。

 

初めて、真っ向から意見したと思いますし、かなり本音で言わせてもらった記憶があります。

その様子を見て、二村社長も真剣に答えてくれました。

「個人で行っている事業ではない」「組織で目指している目標は売上だけではない」と。

正直、ある程度、安定的に成績が出来ていたので少し過信になっていたと今は思います。

 

少し感情的になりましたが確かに当時の私は「売上」に最大級の「こだわり」をもっており、

全てだと思っている事もありました。

二村社長に諭して頂き、気付き、そこからは考えを改める事が出来ました。

 

【これから】

入社時の事業部は6名でしたが、今は11名まで増えました。

 

事業としても着実に前進をしていると実感はしていますが、目指すべきところは、もっと高く、

まだまだ事業部として精進しなくてはなりません。

 

個人的には「業界No1」であったり、これからの若い方が「就きたい仕事」として憧れれるような

仕事になれればと考えています。

そして、その可能性があると信じています。

 

まだまだ新しい仲間と仕事をしていきたいと考えている今日この頃。

この度は、ご覧になって頂きまして、ありがとうございました。

 

少しでも「アイフィールド」を知ってもらえると嬉しいです。

まだまだ個性的な社員が登場すると思いますので、引き続き、ご覧になってください。

 

ありがとうございました!!